飲み会、その後が…
会社のチームに新入社員が配属され、遅くればせばがら歓迎会を行いました。
ここまではいつものことなのですが、今朝になって嘔吐と下痢にみまわれ、
午前5時半から3時間近く苦しみもがいていました。
クーラーのつけっぱなしの部屋で寝ていたんですが、風邪の症状は一切無し。
飲みすぎも考えられるけれど、軽い二日酔い程度だったし…。
あまりの辛さに救急車を呼ぼうと本気で考えました。
なにかにあたったのかな?
今は落ち着いています。
お笑いLIVE in 須坂
須坂市にある須坂市文化会館メセナホールに6組のお笑い芸人たちがやってきました。
レギュラー、タカアンドトシ、FUJIWARA、ロバート、摩邪(まちゃまちゃ)、次長課長。
夏休みということもあり、会場は満員御礼状態。
会場に来ていた約半数はお子さんたちとその親御さん。
「須坂でやるからたいして人が入らないのでは」と思って会場に向かうと、
駐車場は臨時の場所を使ってなんとか収まるといったかんじ。
さて、ボクはタカアンドトシが見たかったわけだったのですが、
やはりこの組は面白かったなぁ。あのボケとツッコミの間というか、とぼけた空気と言うか
その絶妙な兼合いに笑いが止まらず。FIJIWARAも摩邪も予想以上に面白く得した気分。
レギュラーの人気はダントツで会場内が一番も盛り上がっていました。
あとは、好みが分かれると思うので、これ以上は語りますまい。
2階席だったので、ちょっと小さいのが残念ではあったけど。
ちなみに、来月は笑い飯の単独ライブに行ってきます。
名前を…
近所にある県内最大手の本屋のHにTERROR2000のCDとIN FLAMESのライヴDVDを予約に行くと、
カウンターには音楽に詳しい女性スタッフの姿が。
この人にCDのこととか尋ねたり、予約の際にアーティスト名しか分からないとき、この人に言うと話がすんなりと通るので、個人的に信頼を置いている方なんです。
で、いざ、予約の用紙(いまだにアナログ式)にアーティスト名、タイトル、発売日の記入の後、名前、電話番号を書くんだけれど、なんと、以前の予約帳を出して、ボクの名前と電話番号を記載してくれました。
今までこれといって話したこともないのに、覚えていてもらえたなんて嬉しかったなぁ〜。
ちょうど、SYSTEM OF A DOWNの「MEZMERIZE」を買おうか思案中でどうか尋ねたかったんだけど、その勇気も無く…。
また機会があったら何か聞いてみようかな。
幼虫救助
仕事の帰り道、銀行に記帳に向かう途中、ふと足元になにやら蠢く物体が…。
足を止めてその生き物に目を向けると、なんと蝉の幼虫がひっくり返っているではありませんか。
何年も土の中で孵化ふるまで長く苦しい月日を過ごしてきたかと思うと、
思わず助けずにはいられない気持ちに。
写真でも撮ろうかと思ってはみたものの、ただいま子供たちは夏休みの最中。
どこに子供の目があるかもしれず、ボクはこっそりと蝉の幼虫を手に取り、茂みの中に
逃がしてあげました。
30年間生きてきて、初めて生きた蝉の幼虫に触れることができました。
いやぁ〜、些細なことなんだけど、感動したなぁ〜。
無事に大空に羽ばたくことを願ってやみません。
蝉の恩返し…、あるわけないか。
日焼け…
富士山での悲惨とも言える日焼けから約2週間。
皮もすべて剥け変わり、色も「焼けた」程度に。
しかし、まあここ数日、会社の人には「良くなってよかったね」とのお言葉。
おそらく自分が思っている以上に周りからは、重症に見えたのでしょう。
富士山登山3
いよいよ、この旅行も最終日。
時間ぎりぎりでチェックアウトをし、帰り際に目の前の河口湖でモーターボートに乗り湖を一周。
ボクはこれまで、富士山の姿を見たことがなく、湖の上からはじめて富士山の姿を
見ることができたんです。
なかなか、母親と出掛ける機会がなく、今回もこうやって泊まりに出掛けるのは初めてのこと。
天気にも恵まれ、ほぼ予定通りに物事が進んだため、とてもいいものでした。
それにちょっとは親孝行できたかな、なんて思ってみたりしています。
ボクにとって貴重で有意義な旅行でした。
富士山登山2
四時半にとりあえず起きて「ご来光」を拝んで、再び布団の中へ。
この日は頂上を目標なので、体をゆっくりと休めることに。
母の体調も快方にむかったので、引き続き登山開始。
午前七時半に山小屋をあとにして、上を目指す。
風も冷たく気温も低く、空気も薄いので、少し歩くと脈拍は早くなり、息も切れ切れ。
登山路も六合目から七合目と同じように砂利道になり、再び歩きづらい登山路に悪戦苦闘。
昨日の母の体調もあるので、ペースをなるべくおとして、無理の無いように上に向かう。
本八号目で休憩をとっていると、山頂付近が見えたので山小屋の人に「あの見えているところは頂上ですか」と聞いてみると、「そうだ」といううれしい答えが。
この言葉にボクも母も気合いがはいり、気分的には少しは楽になりましたね。
頂上がみえるのと見えないとでは精神的に大きく違ってくるから。
しかし、そうは言っても九合目の鳥居が見えてはいるものの、なかなか近づくことができない。焦る気持ちを抑えてペースを守り、あくまで目標は頂上到達。ここまできて体調を崩したらもともこもないからね。
八合目から九合目までは予定よりも二〇分早く到達。決してペースをあげたのではなく、
大目の時間を考えていたのですが、順調に登ってこれたためペースがあがったみたいです。
九合目を過ぎると、山頂への登山路は人が並ぶようになり、休憩するにも、脇に避けて体を休めなくてはならないものの、岩が多いので腰を下ろせるのがまだ救いだったかな。
七時半に出発して十一時頃には山頂に到着。登山開始から約九時間という長い道のりの登山。山頂のベンチに腰を下ろし、九合目から登ってくる人たちを眺めていると、「よく登ってきたな」と思わず感慨深いものに。
母の長年の夢であった富士山登山が叶ったことにボク自身もうれしくなりました。
ただ、本当の苦痛がこのあとに待ち受けていることはこのときは、知る由もなかった。
一時間弱の休憩のあと、五合目まで下山を開始。
下山開始当初は、ほんの十五分程度で九合目まで降りてこれたので(登山道と下山道は別)、まあ、この調子でいけば問題ないと思っていたんですが、1500mほども登ってきたため、下山道ははてしなく長いものに。眼下を見下ろすと延々と続く下山道。
足にかかる負担は登山の数倍。足元は例の軽石と砂利の足をとられる下山道。
登山道から見えたときは、平坦そうでいいなと思っていたが、こいつはかなりの曲者だったんです。
降りても降りても同じ景色同じ道。単調な繰り返しは苦痛でしかなくなり、ただ、足元を見つめながらの時間がただ流れていきました。
約四時間後、無事に五合目に到着。日焼け対策を怠ったせいで顔の半分は真っ赤に日焼けを。
疲れきった体を引きずるように、河口湖湖畔の旅館に。
軽い脱水症状になってしまったため、とりあえず、水をガブ飲み。
汚れきった体を温泉で洗い、久しぶりの箸をもつ食事に舌鼓を。
このときのビールがまた格別。
おなかも一杯になり、心地よい酔いで八時頃には就寝。
富士山登山1
母親と富士山登山に行ってきました。
午前七時に家を出て、十時には河口湖駅に到着。
ちょっと早めの昼食をとり、富士山五合目行きのバスに乗車。
天気もここ数日のなかではかなり天気が良いと聞かされ、天気の不安は軽減しました。
昨年は六合目まで歩いただけなので、それから先はまさに未知の領域。
母親と六合目まで難なく歩いていくまではよかったのですが、
六合目から七合目になると足場は軽石と砂利で足を取られかなり歩きづらい道に。
傾斜もそれなりに急になってきて息が徐々にあがりはじめる。
最初からペースをあげると、高山病にかかる可能性が高いということで、
少し歩いては休憩というのんびりペース。
六合目で次の合目までの所要時間が書かれた簡易地図を貰ったので、
その目安の時間+30〜1時間というペースを保つように。
足場の悪い六合目から七合目間を抜けると、目の前には岩場の登山路が…。
足場が固くなった分歩きやすくはなったものの、太ももにかかる負担は大きくなり
母の疲労もこのあたりから顕著に出るように。
十分ほど登っては休憩の繰り返し。
七号目は下から上まで山小屋が建っているんですが、登っていると
「七合目の終わりはどこだよ」と思わずにはいられないほど、延々と岩場が続いているんです。
このあたりになると標高も3000mになり、風が冷たくなり、数分の休憩でも体温が
一気に下がってしまうため、防寒対策もしないと疲労がたまるばかり。
この日の宿泊は八合目の少し上にある山小屋を目標としていたので、
八合目についた時点で五時を回っていました。
疲労のせいで母は軽い高山病にかかってしまい、少し長めの休憩のあと、
さらに時間をかけて山小屋まで登ることに。
予定の六時頃には山小屋に着いたんですが、外はかなりの寒さに。風も強く体感温度は一桁くらいかな。
おにぎりとチーズと言う食事を取り、あとは暖かくして休むことに。
このときまだ七時半。母の体調も少しは落ち着き始めたものの、改善に向かわなければ下山も考えていました。
山小屋の物価は高く(仕方がないんだけど)缶のお茶400円。ペットボトル500円。
しかし、水分は山の上では本当に貴重なもので、顔を洗うことすらできません。
これほど水の有難さを痛感したことはなかったですね。お茶のおいしかったことなんの。
明日に備えてこの日は七時半就寝。
携帯電話変更
2001年の7月に機種変更をして以来、ずっと同じ携帯電話で頑張っていたのですが、
ついに機種変更しました。
さすがに4年も前なので電話にはJ-PHONEの名前が。
アドレス帳を新しい機種(501SH)に移してもらったところまではよかったんですが、
前の機種が古すぎたせいか、名前と電話番号しか移すことができない結果に。
もちろん、メールの内容もすべて駄目。
携帯電話に入っているe-mailアドレスも移されておらず。
一応、ショップのほうに問い合わせてみると、データをコピーする際に、
そのメールアドレスのところにチェックがつかなかったんだって。
ショップの人もえらく申し訳なさそうだったけど、4年も前だから仕方ないでしょ。
ただ、その対応だけで満足しました。